「女らしさ、男らしさ、」の呪い

写真家のアラーキーの元ミューズだったkaoRiさんの告発を読んでずっと考えていた。
写真家を目指していた10年前、当時は、自分の女としての生き方に生きにくさをすごく感じてて。 当然、アラーキーの写真もみていて
「女の魅力って素晴らしいなぁ」なんて思ったりしていた。
告発にもあった雑誌を今でも持っている。
でも、その魅力って男がつくりあげた幻想でしかなかったのだとしたら。
KaoRiさんの告発の衝撃がすごくて、一週間ぐらいひとりで悶々としてて、Twitterでつぶやいてた。 そんな時、東京にいる幼なじみの友からもkaoRiさんの告発文がLINEで送られてきた。
(この写真に写っている友です。)
久しぶりに何時間も電話で話した。 女と男について、アラーキーとkaoRiさんについて、芸術と時代について、オノ・ヨーコとジョン・レノンについて、 私たちは“女“という体をもって生まれてきた。
男の人たちは悩んだりすることがあるだろうか。
「女の魅力は、セックスではなくて、覚醒と団結だ」とオノ・ヨーコ はいってた。 これからは女の柔らかくて地に足の着いた感性で、これまでの世の中を癒す時代なんだ。 女も、自覚して、簡単に脱ぐのはやめよう。 男がつくっている権力に支配されるのはやめよう。 本当の男女平等は、 女が男のつくった社会で活躍して生きづらさを感じながら暮らすことではなく、 男が女の生き方に習って、男のなかにもある母性を力にかえて人間らしく生きていくこと。 女が我慢するんじゃなくて、幸せを強く願って求めれば、世の中は美しく平和になる。
私は無償の愛を子どもにあたえている。夢を持って幸せに暮らして生きたいと願っている。
未来が豊かになるように働きたいと思っている。